俺と松吉は仲良しだよ。この後ちゃんと祝ったよ。嘘じゃないって。
「こういうコネで向こうの事務所にいければ仕事が増えるのでは」って顔してたの忘れないからな。
エゴとエゴはぶつけあってこそで、悔いるくらいなら諦めたらいけないんだって誰かが言ってた。
自分のことは好きなんだが、自分を構築する成分の部分部分に嫌いがある。
自己を否定したいわけじゃないんだが自己を作り出してるものが嫌いだった場合俺はどこまでを自分オリジナルだと認識すればいいのか。それさえなければ悩むことはないのに、と。
赤の他人が原因だったら切り離すことができるのに、自分の中に嫌悪が垣間見えると離れることすらできないし、許すことができないものほど人生のしこりになる。
それらを考える時間が無くなるくらいの何かを得るのが救いだろうな。
生まれや育ちに対しての不満で死ぬって選択肢は、これまでに出会った人たちの否定でもあるのでそれだけは選べない。
過去によって作られた人格に不満があるならそれは変えれるものであって、自分の努力でなんとかなるはずだから。
努力でなんともならないことに対しては、その行為を否定するわけにはいかないけれど。
過去は捨てられないものじゃない。
自分だけ持ってれば結構なんとかなる。
捨てたいものが今の自分を形成するものだとしても、それだけで君が成り立ってるわけじゃないんだ。
だから、苦しんでまで抱えないで。
辿り着いたそこが妥協でも、誰かにとっては輝いてるんだって知ってほしい。
そしたらきっと、ずっと、もっと、自分を好きになれるから。
あなたが「ここまでしか来れなかった」と悩むその場所は、もう二度とそれより下にいくことはなくて。それより上に行くための地面がそこにあって。
これ以上頑張れないかもしれない。頑張らないって選択をしても非難されることでもない。
でもそこは、ゴールじゃなくてスタートラインなんだ。
ゆっくりでも、歩いてでも、這ってでも、進めるならなんでもいい。一歩でも、少しでも。
きっとその先で、もっと居心地のいい場所が待ってるよ。