「どこまで」が。


実際誰でも彼でもとなるとそれはそれで問題なんだが、不可逆を認めてでもそうなりたいと願った人はどこへ行けばいいんだろうか。
冷やかしと追い返されるかもしれない、極端でないからと叩かれるかもしれない。相談しようにも相談する先がわからなくて、自分の姿に不満があるけどどちらかというと正常のそれで。だけど日々に苦痛を抱えている人たち。
何事にも言えるけど、中途半端で孤独な人ってそれなりにいるんじゃないかな。

そういう人でも答えを与えてくれる場所はあるにはあるようだが、行くための手段というか、知るための経路がわからんとどうしようもないよな。

おかしいのは文化か人か


バグパイプ衣装をこういう話に持ってくるの、どう考えてもおかしいんだよな。あれは民族衣装とはいえ常時のものではないだろうし、日常生活で着るかと言われると恐らく違うものって認識だ。
どちらかというと「昔は男の服だったけど売り込むために女向けになって今は女用として扱われている」ものが近いだろう。スカートもだけど、帽子とかブーツとか小物も含めて。

ところで今性同一性障害って言わないらしいな。こういうのただでさえ名称増えてるのになんで変えた。

したい≠なりたい


広まれば広まるほどに勘違いが増えることってあるよな、俺も女になりたいわけじゃない。……ということでいつもの長い話。

俺らはそういう仕事が多くて当たり前のようにしてるとはいえ、見てる側にとってはそう受け止めるだけの話でもないってことで。
最近こういう話の更新が増えたけど、実際はたまにあるだけだし引き伸ばしてるから多く見えるってのを告げていきたい。考えさせられはするけどな。

間違った道なんてない


仕事のためにしたくない格好をするってのはどこでも有り得て、それで疲れる人も昔からいる。
どんな姿でも、どんなキャラクターでも文句を言わせない力を持つことが誰にとっても、どんな問題でも、一番の解決法だろう。
そして俺たちはその可能性の最も近くにいる。それだけは忘れずにいればきっと誰より上にいける。

答えはひとつじゃないから


体と心が合っているのに周囲の対応が伴わなければそれは自身の性として生きていないも同じで、望むように見られていると気付くのは望んだのと同じ流れができなくちゃいけなくて。
生まれの性によって交友関係は変わるっていうんだけど、それにだけ気付いていたら少しは違っていたのかなって。
友達の外見と中身を重要視しないのはある意味ではとても良いことだけど、それで自分が潰れてちゃ意味がない。
合ってるのに苦しむ人も、合わないから苦しむ人もいて、そんなの全部個人を見るようにだけなれば解決するのに世界は難しい。

しかし飯原君との話は真面目なものになるのでどうしても長くなるな。
あともう1回あるのでもう暫しお付き合いください。

せめて苦しむことなかれと


自分だけだってのは中々に傲慢なことで、同じことで苦しんでいる人はそう少ないものではない。
ましてや今の世界はメディアやSNSで同じ考えの人と軽率に繋がれる。声をあげれば手が挙がる。
それは同時に批判や陰口も受けることだけど、寂しい思いを抱えることにはならない。

伝えることは昔よりよっぽど簡単だ。
その内容の認知を何%で良しとするかで難易度は上下するけれど、触れないよりもよっぽど解決に近付ける。
それを便利ととるか、不便ととるか。

また、該当者じゃなくても賛同者は現れる。その問題がデリケートであればあるほどに多く、近親者に思い当ったり考えなしであったり様々な人たちが寄ってくるだろう。
その人たちを切り口にしてもいいし、聞いてもらってることで自分の考えを纏める機会にしてもいい。
伸ばされた手を、見つめてくる瞳をどう受け止めるかで未来は変わるだろう。

目線の違い、それだけ


結局は自分が自分を許せるかだと思うよ。
俺は不満を言うところまでが俺というキャラだと思ってるからこの自分を認めているわけだし。