水上駅は川の上


鉄道の切符は一定の距離以上を乗車する際は逆戻り不可での途中下車ができる……それを使わないなんて勿体ない!さあ改札に切符を通してレッツ探検!!
ちなみに俺は何故か過去に1回改札に切符吸い込まれてるのでこれをするのがとても怖いとだけ言っておく。



水上駅は駅を出れば目の前にお土産市場。両手を広げれば抱えきれるような規模だがお財布的には丁度いい。
お饅頭を食べ歩きしたりカフェに寄ったり、土産を買うには十分すぎる規模。



少し線路に沿っていけば汽車の置かれた広場に到着する。噂に名高いデゴイチ、これがあるのは珍しい気がする。


暖かい日差しの中で芝生の上を駆ける。誰もいないのはきっと童心に戻る機会を神様が与えてくれたのだろう。天を仰ぐのにも丁度よく、肺一杯に詰め込まれるのは澄んだ空気。ひとつ息をするたびに窮屈に締め付けられた心が解放されて黒く淀んだ悪い言葉を詰め込まれていた胃が洗われるようだ。


俺が目指したのはSLではなく転車台。京都鉄博にもあるとはいえそれとは違う。現場感の残るものを見れることに喜びを感じて飛び出さずにはいられなかった。

………………いい……。


広場からさらに奥、湯檜曽の方面に向かえば利根川に到着する。透明感のある水と澄んだ空気を伝うせせらぎにいつまでも浴びていたい気持ちが湧いてくる。
ああ、川のほとりを歩きたいのにそんな都合の良いことなんて。


あった。



階段をおり、足元を流れる水に意識を奪われながら進めば橋脚がこちらにどうぞと案内してくれる。


穏やかな浅瀬に故郷を思うが大和川じゃこうはいかんという思いばかりが邪魔をする。
比較する場所があるのもそれは思える場所があるから、今いる場所に良さを感じるのも、日常生活に郷愁を覚えるのも。どちらかがなくなればできはしない。


えっちょっとこわくない??


時期が合えば川釣りも楽しめるらしいが水場に降りるには急な階段を手すりもなしに降りなくてはならない。下りた先には草が生い、人のいない時期に行くには少々躊躇いを覚える。
1段の幅が10cmくらいしかなくて手すりなしって、川だからそりゃそうとはいえ皆よく降りるな……逆側には緩やかなルートが用意されているんだろうか。

階段を下りて100m進んだだろうかどうだろうか?あまりに離れると戻ることもできなくなりそうなので名残惜しいが付近の階段をのぼることとする。


階段を抜ければ公園、その半分は駐車場なのではと思えるようなロープの影が見える。目の前は住宅地、今どこにいるのかなんて何もわからない。
さて、ここから駅に向かう道を見つけなくては。


と思いきや目の前に看板、家と家の間を縫うような近道を提示される。
言われたとおりに進んでみると飛びいずるは駅前商店ど真ん中。まるで魔法にかかったかのような体験だ。
電車の時間まではまだ半刻ほど、SL広場とは逆方向へと進んでみる。


観光客という旅人にプロパンたちも首をかしげる。「見ない顔だね」と挨拶するようにつぶらな瞳をこちらに向けて。うしろのふたりはひそひそと相談し、オススメを教えるかのように指し示す。妄想と言ってしまえばそれまでだが、ちっちゃなことひとつが歓迎されていると受け取れて楽しさを増やしていくんだ。
でもこれ飛行兵みたいで怖い。



車道スレスレを突き進むと展望台のような場所に到着する。そこからは対岸のホテルや、季節が合えば桜並木などが見えるとのことだ。
だが今は季節が全く合わず見えるのは宿でくつろぐお客さんと足元に立ち並ぶ家々とその住人。そんななかでひときわ目を引くものがひとつあった。


廃墟だ……。

ここに来るまでに当然横を通ったところなんだが、別アングルから見るとアピール具合が激しい。


朽ちる壁、落ちる看板。


異世界へ誘うような階下への路は人々の進行を拒み守るかのような草に邪魔され、しかし悲しいかな季節に逆らえない草木は乾いた声で囁くことしかできない。
こちらにきてはいけない。ああ、わかるとも。賢明であれば足を踏み入れるものか。住居侵入罪だ。抗えず立ち入って辿り着くのは廃墟ではなく檻の中だとも。


家々の間から覗く闇に囚われた室内、割れた窓はまるで飴細工。蟻にすら触れられぬ無味無臭の液体は身を震わせて寒さに耐える。
人々と家財を保護していた一枚の布は今やただ入りこむ風に傷つけられ無情を嘆く。ほつれて埃まみれになろうとも己の役割を果たそうと一身、懸命に。
錆びたステンレスに身動きを取れなくしたフレームは自分たちを助けてくれる人の手を待っている。いつまでも、いつまでも。


対岸の仲間はまだ煌びやかに彩られて踊っているのにどうして自分たちはと悲しむ声が聞こえるようだ。
人に求められ人に捨てられた孤独な城は茨に包まれながらも王子の到来を待っている。いつかまた人に溢れ、舞踏会が開かれる時が来るのだと。
たった25年。長い四半世紀。軋む骨に、落ちる皮膚に。崩れぬようにじっと耐えながら。

何が違ったのか、向こう側とこちら側。店も、景色も、優れているはずの場に思いを馳せる。まるでシビアな童話の世界のようだ。たった少しの違いで主役になるチャンスを奪われ今こうしてここにある。錆びた鉄筋が覗く肢体を労わるように撫でることすら俺にはできない。
実際何が違ったかっていうとエレベーターメンテしてなかったのが主因っぽいが。あとここナンバー付いた車があったので下手すると人がいる。

 

下調べも兼ねた水上温泉闊歩だったが。いい廃墟と出逢えて満足したこともあり電車まではもう少し先だが駅へと吸い込まれていくのであった。


山手線が近郊に入っている。乗り換え一回で着く都会はすぐそこなのだろうか、それともまだ遠い地なのだろうか。
車で行けば、すぐ……なのかな。