リアルタイムに数周遅れ

「家、ついて行ってイイですか?」という番組を最近ずっと録画している。
テレ東とテレ大で時間同じなのに放送内容違うとか何なんだよ話が通じねーよ。

放送してない時もそこそこあるんだが、深夜の時から遭遇したら見てた番組だ。
何と言えばいいのだろうか、「youは何しに今生へ」とでも言えばいいのだろうか?そういう系統のものだな。
終電を逃した人のこれまでの軌跡や人生観を、場合によっては同居人ごと掘り下げて魅せていくもので基本的には深夜&飲酒テンション。元々が深夜番組だからってのもあるんだろうけど視聴者にもそういうノリを求められている気がしないでもない。

成功も失敗も希望も絶望も期待も俯瞰も、誰かが持ってる何かひとつと、その人しか持っていない人生の語れないものの上澄みを攫って放送時間という枠に入れるのはステンドグラスのようだとも言えなくもない。
最近は番組スタッフが突っ込んでいきすぎててたまに不快になりもするが、それでも「自分の譲れないものってなんだろうな」と考えるきっかけにはなるのでやめられない。
色んな駅に出張してるかと思いきや祭りで対象者を探したり飲食店で探したりと、なりふり構ってないのかブレてないのかわからないところもまた、ある意味すごい。

画面見ずに音だけ垂れ流してることもままあるんだがそれでも問題ないといえば問題ないゆるい番組なのに、しっかり見てると自分の見えてなかったところに気付かせてくれるというか。視点の違いでの物事の受け取り方・考え方の差が楽しいというか。
一般人の人生観や生き様をドキュメントしてくれることって1コーナーとしてはあったかな、と思うのだがそれが番組丸々なのである意味濃厚なものだ。
インタビュー先が街角で偶然出会った誰かってこともあり、それもまた結構な津々浦々なのである意味「明日は我が身」なのも見どころだろう。

他人の人生を食い物にしてるとか、話の種として消耗しているといえばそうなのかもしれない。
でも他人の人生なんて深く突っ込んで聞くことはできないし、自分のしたい主張も相手の心にある触れづらいものもカメラを通して見ることができて人それぞれを体感できる、というのかな。
「自分以外」を知るにはいい番組じゃないかなって思うんだ。

しかし、この番組スタッフは一体どういう生活サイクルで撮影に挑んでいるのだろうか。
ハンディカメラがテレビ映像に向くようになって1人でもロケに向かえるとはいえ、一晩かかる多箇所アタックをどのくらいの規模でやってるのかさっぱり見えない。
これもある意味、他人の生活を消費して娯楽にさせてもらってるってことなのかな?悪いようなそうでないような。
作る側にまわれば気にしないけど見るだけに専念すると娯楽に関わる全ての人の労力とかそういうのを無駄に気にしてしまうな。

同じ系統で逆向き列車が好きなんだが、あれは仕事休ませるというところも無理があって続かなかったのかな。VTRが貯まったらまたやってもらいたいものだ。単語録画の準備はずっとできてるぞ!