今期の相棒の最終回に思うところがあったので書いてみる。
ツイートでも散々言った内容である。
親にとって子供ってのは全員同じ価値で、方法は違えどかけている思いは同じ。
そういう話だった(ような気がする)。
その上で、子供主観からすれば愛情はどうしてもひん曲がる。ということ。
褒められて育った長男、認められることを重要だと考えた次男、弱さを乗り越えろと教わった三男。
長男は、親に褒められるのが当たり前になりすぎて親が居ないと誰も自分を見てくれないと思った。
普通の子すぎて褒められることがなかったんだろう。
見てくれない他人なんて必要ないから親にだけは自分を認めてもらいたい。
さらには親のために存在すると自分の価値を自分で決める。
親のために動けない自分なんて居ないも同然だ、と。
次男は放任されたのだろう。長男のように認められたかった、でもそれはできなかった。
自分が立派になればなるほど、親は遠のいていった。
「次男は1人でなんでもできるから」思うどころか声に出されて、なんでもできなきゃいけないと考えるようになった。
なんでもできる自分じゃないと価値が無い。必要とされないと意味がない。
だから上へ、色んなことを知って支えなくてはならないと思い込んだ。
三男は認めてもらえなかった。
いつまで経っても子供だと、親は自分を縛り付けた。
小さい頃の印象のまま、何を言っても「お前はそういう子だったからな」と言われて成長を見せられない。
家の外に今の自分の姿を作らなくては潰されるような人生。
できそこないと自分を抑えつけるようになることすらありえる。
無くてはだめだった長男、求めることを拒まれた次男、捨てたいと望んだ三男。
三者三様に、そして同等にと言うが無意識の比較が存在している。
長男に対しては最初だからしょうがないと。
次男に対しては当たり前のことだと。
三男に対しては長男のようにならぬようにと。
よくある構図ではあるけど、同時に酷い構図でもある。
全員がアダルトチルドレンになってしまう家庭の例ってこんななんじゃないかな。
親にとっては全てが愛でも、子供の視点になると過保護やネグレクトやモラハラに思えるだろう。
全員を愛していないわけがないというのはわかる。
けれども同等というのはありえない。どうしても偏ってしまうんだ。
だからこそ各々に、きちんと言葉にして「あなたが大切だ」と伝えなくてはならないんだ。
家族ほど会話が多く、言葉が足りないものはない。
近いからこそ少しのわだかまりが積もり積もって山になるんだ、合間のリセットほど重要なもんはないぞ。
親は愛を与えた、だから子供も親を愛すべきってのはわからんでもない。
でも重犯罪やらかした親に対しての行動は三男が正解だろうよ。
親だからって、家族だからって無条件に味方して無条件に愛してくれるなんか思うなよ。
痛い言葉もぶつけられずに何が家族だか。
互いに道を正さないのなら、友達以下の関係でも充分なんだから。
大切なものほど嫌われる覚悟とともに言うべき勇気を持たなきゃならない。
そういう点では三男も、親が嫌いと言いつつも好意的感情はあったんだろうな。
親に反抗する証言をすることで本当の自分を知って欲しかったというところも。そして兄には気付いて欲しかった、この家はおかしいんだってことを。
だが、たとえ訴えてもたった1日2日で変わるほど浅い洗脳じゃなかった。
家族内で自分の立場が低すぎたことも理由のひとつだろう。
これも彼なりの愛の形だったんじゃねーかなぁ。
焦点あんまり当たってないけど、次男も相当悲惨な人生だったと思うよ。
家族の誰にも必要とされないまま、褒めてほしくて弁護士になったんだろう。
小さい頃からいいように使われることでしか自分の存在を認められなくて、それでも家族が大好きで。
犯罪だろうがなんだろうが、自分を見てくれるから力を貸す。
家族以外が家族の分も彼を褒めていれば別だっただろうに。
幼少期の孤独感は、よっぽど彼を蝕んでたんだろうな。
真ん中っ子はしっかりするって言うけど、彼を見るとそれは本当にいいことなのかって疑問になる。
愛情が足りずに、それどころか今も足りない結果なんだろうなと。
甘えることすら許されない、泣き言もぶつけられないんじゃ自分の存在も無いも同然だよな。
よくそれでも耐えてるもんだ。
だけどそれは強さじゃなくて、弱くてしがみついて振りほどかれないよう必死なんだろう。
本当はずっとSOS信号を送ってるんじゃないかな、周波数があわないだけでさ。
彼が救われることを俺は願うよ。
この家族と真逆の扱いで歪んだ家庭も多いことだろう。
長男だから他の手本となるように厳しく、立派にならなくてはならない。
末っ子は兄弟が多い分、充分に構えないから甘やかさないといけない。
どっちのルートでも性格曲がるもんは曲がるし、修正に重要なのは家じゃなく外。
家だけのルールなんて学んだところで通用しないことが多いんだから、視野を広げなくちゃならん。
視野を広げれば、家族構成や親の意識で皆違うってことに気付ける。
自分を見てくれてるのは親だけじゃないって気付ける。
自分が見るべきも、家族だけじゃないって気付ける。
俺だって家族の中だけで生きてたらもっと性格湾曲してたろうよ。
そう考えると、小さい頃から外で家族以外と関わることが多かったのは救いだったのかな。
外に連れ出してくれた親含む周りの面々に感謝しなきゃならないな。
親が良い人でも悪い人でも変わらない、どこでも成り得るものだからこそ視聴者の「親」にも「子」にも、家族のありかたってのを考えて欲しいなーと思いました。