5年来の友人とボイスチャットをした。
彼と声で話すのは初めてだ。
彼は、会話の途中でふいに切り出した。
「自分は失声症だった」と。
彼は、交流が好きで、チャットでは周りの人を笑わせることを楽しんでいた。
歌うのも好きだけど、最近カラオケ行ってない。と言っていた時もあった。
「俺リアルじゃ無口だぜwwww」とちゃらけていた。
どんな気持ちだったんだろう。
俺たちが返した言葉に、何を思ったのだろう。
なんて、今考えても仕方ないことか。
原因はストレスらしい。
元来喋ることが大好きだった彼は、その日も普通に会話をしていたんだ。
でもそこで、唐突に投げられる言葉。「うるさい」
それを皮切りに始まる、嘲笑を含んだ否定。
性格も声質も行動も、全部持ち出されたそうだ。
以前も、大声を注意されることは多々あった。相手は違うけれど。
その注意とか、そういうのが全部ぶり返した。声を出すことを良くないとされた空気が、記憶が、全部蘇った。
つらいこと飲み込んで、謝って、その日を過ごした。
問題が起きたのは、翌日。
朝、挨拶をしようとして気付いたこと。 喋れない 。
言葉は脳にしっかりあるのに、咽に情報がいかない、口が動かない。
喋りたいのに音の出し方がわからない、声帯が反応しない。
そこにあるのは絶望だった。
言いたいことは沢山ある。
言葉が頭を駆け巡る。
伝えたい、なのに。喋りたい、なのに。
発散できない単語たちは頭の中をどんどんと占めていって、ごちゃごちゃになる。
だから文字の世界に逃げた。
自分の言いたいことを伝えることのできる、ネットの世界に。
それでも、喋らざるを得ないときや、家の空気を感じると声を出せないことにもどかしさを感じていた。
どうして、どこがおかしくなったのかわからない。
これまでどうやって喋っていたのかわからない。
あんなにも歌いなれた歌すら、歌えない。音も出ない。
泣こうにも、泣くための音すら咽の奥で止まっている。
いつ発狂するのか、このまま耐えることができるか。
全部に押しつぶされそうになりながら毎日が過ぎていく。
今は治ったけれど、また同じことが起こるかもしれない。
あの状態がまたくるのかと思うと、不安で不安でしかたない。
次、もっと酷くなったら?
またかと罵倒されたら?
うなされることがある。最悪の悪夢として。
あの日々は確かに地獄だった。
そう、彼は言った。
確かな、彼の声で。彼の言葉で。
不安の付きまとう喜びというのは、どう扱えばいいのだろうか。
「折角だからネタにしてくれよ」とは言われたものの、笑い話にはできないな。
あまり、遠い話の症状じゃないらしい。
いつも賑やかなのに唐突に喋ることがなくなった人がいたなら、怒っていることや無口になっているというだけで考えず、声が出ないということも考慮してみよう。ってことだな…。
無理に話を振って喋らせようとするのは、かえってストレスを増やすことにだってなる。
触れることが善となるのか、触れないことが善となるのか。
ネットじゃわからない苦痛、“次”に手を差し伸べることはできるだろうか。