少し遅めの

目に入ったら直ちに洗い流してください。
この一文を一体何人の人が実践してるでしょうか。

静かな日々が流れております今日、取り沙汰されたニュースはやはりオウムのあれでしょうか。
阪神大震災の同年3月20日。今もまだ後遺症で苦しんでいる人が多くいると聞きます。
俺がこの事件に目を向けたのは数年前。レリッシュさんが話にだしていたことがきっかけだ。
それがなければ今も気にせずいることだろう。
目を向ける場所に書いてあって初めて知ろうという意思ができるっていうのは他人に興味を示していないのと同じことなのかなと思う。
そういう風に見てみると目を向けていない事実はたくさんあって皆さんには失礼極まりないことをしている気もするのだが…。

中途半端に知ることと知ろうとしないこと、どちらが失礼かなんてのは当事者の意見の差だけども、少なくともどんなことだって知っていて損はないのではないか。
それはどんなものにも言えることで、知ることっていうのは自衛でもあるわけだ。
病気を予防する方法、怪我をした時の対処法。これが代表的な「知ることによる自衛」だと思う。
知っているとパニックになって時間を無駄に過ごして悪化させることも無く、落ち着いて何をするべきかわかるだろう。
自分自身の話だけじゃなく、他の人の力になることだってできる。
専門的なことを知っている人が居るならしゃしゃり出ない方がいいだろうが、常に詳しい人が近くに居るとも限らないものなのだから知っている方が自分も安心できる。
今はネットの時代で、知りたいことの大方はwikiなんかで見ることができるのだから時間をかけることも少ない。
次があってはいけないけれど、万分の一の未来を見て調べて見るという行為をしてみるのもいいのではないだろうか。
ひょっとすると別の方向で役に立つかもしれないのだから。
ただ、間違った知識を鵜呑みにするのだけはないように気をつけきゃいけないが。民間療法とか。

こういったでかい事件は大袈裟にして後世に伝えるものなのか、静かに忘れて心の傷に触れないようにするのか。どのくらいの距離感で見るべきなのかっつーのがわからなくて困る。
同じことにならないように対処法だけは学ぶけど、それ以上のことはどちらに転んでも失礼にしかならないような気がする。

…そもそも語れるほど記憶があるわけじゃないけども。

この年は日本でwin95が発売されたりなんかもして、こっちでもあっちでも慌しいことがあったんだなってのが見てて伺える。