メイドインアビスを、ある程度まで読んだ。とりあえずマアアさんは見た。
深く語ろうと思えばいくらでも語れそうな物語だ。
あの作品は冒険の話なので、痛々しくはあってもヤバい部分に関しては「もう数歩踏み込めるけどやめとくね」みたいなところがある。そのあたり、実はとても優しいのではないだろうか。
最後まで書ききらない惨さというのもあるだろうが、蛇足は省いて想像の余地も残している。
主人公たちが見えない・知らないところは無理に描写しない。「したければ君たちが描きたまえ」と言われている気さえする。
「そこまで」は見た人間によって感想は変わるし、それを見た上で踏み込むかどうかはアビスに潜りたいかどうかみたいなもんだ。「それ」に胸を躍らせる人もいるんだろう。癒しに思う人もいるんだろう。
人というのは、命というのは、それぞれだな。
作中には上昇負荷というものがある。
降りるだけなら楽だが昇ろうとすると負担がかかる。果たしてアビスだけだろうか。
落ちた先で苦しんで、やっと戻れると動き始めた矢先に出会う「落ちたからこその苦痛、喪失、価値観」。それを得たうえで、果たして何も知らずに笑って生きていた頃の自分に戻れるか。
何かしらかで体験し、知っている人はきっと無理だと言うだろう。一度でも経験したら二度と元には戻れない不可逆なもの、ある種の学び。
それを食らうことになるのだから、命のある場所は全てアビスの中と言えよう。
傷つけないために傷つくか、苦しみたくなくて苦しめるか。それを意識しているかしてないか。
成れ果てという不条理に、人生を感じるよ。
俺たちはこの世界で押し付けず、押し付けられず、されようが恨まず、自己を否定せず、加害者にならず、被害者面をせず生きていられるだろうか。
できるのならばそうありたい。
だがあまりにも難しいそれは、願うことすら罪なのかもしれない。
ならば祈ろう。こちらの世界とあちらの世界に。全ての命に、全ての大地に。
ただ、ただ、平穏あれ。と。