2030年までに人や国の不平等をなくそう。
という話があると知った。
これまで何十年かけても解決しなかった問題を干支一周で変えられるのかってのは俺はどう考えても無理だなって思うんだが、同時にこのたった10年……15年で少なくとも「年の差」についての意識は、俺は変わったなと思うし、それと同時に「性別」についても大きく変化したなって自覚もある。
その道の筆頭がやはり、インターネットってもんで。
ネトゲやってたらネカマもネナベもいるし何歳でも同じギルド、同じPTで力をあわせるわけだからそこんとこも全部混ぜ込んでの「仲間」ってカテゴリに纏められるわけだ。
こういうことのリアルへの落とし込みは確実に進んでるよな。
でも結局日本は日本の、他国は他国のサーバーとか、SNSとかでどうしても枠が狭くなっちまう。
一応各国の人と繋がって遊びはできるけど回線時差とかあって、例えばスプラトゥーンとかでそれが顕著だ。
言語についてはアクションやアイコンがあるから解決できる、いわば全世界共通の手話みたいなもんだ。
ある意味では退化してることでもあるんだろうが進化することによって意思疎通が難しくなるなら戻るのもありってことなんだろうな。
どうしても回線が弱かったり、そういう環境がない国があったり、スマホは普及してるけどスマホくらいしかないとか、線を通しても盗まれるくらいの貧困だとか、色々やっぱ進まない理由ってのがあって一朝一夕は難しいし、他のことを解決しないと進展しないことでもある。
でかい国なら貿易の規制や関税の増額とか、統一価値はあれども貨幣価値は違うから勢力の差ってのがあったりするし、かといってそれを完全統一すると世界が成り立たないしで。これを考えるとやはり「貧困」についての解決って結構難しいことだと思うんだよな。
環境を改善はできるけど格差は改善できない、というか。
それらを含めて12年。
コンピューターの進化で物事の進行はものすごく早くなったとはいえ12年前ってーとスマホが出てきたかどうかくらいだろうし、倍速にしてもかなり難しい目標を掲げてるなと思う。
でも目標とか締切って厳しいくらいじゃないと成立しないんだよな。1人の問題じゃなくて、関わる人数が増えれば増えるほどに。
そう考えると正しい気もするし、それでもやっぱ難しい気もするし。
時間が止まっている人や場所をどう舟に乗せるかとか、考えることがいっぱいあるのに提唱するのはその人たちの目の届かない狭い場所だけだったりしてさ。見えても言葉をカッコつけすぎて調べないと理解できないとかさ。
問題はちっちゃいことからでかいことまで山ほどあるのにどうやって解決に導くのだろうと疑問を覚えてしまう。
一人一人が疑問に思ってそこで止まるといけないって話でもあるよな。
俺たち個人も伝える一員として、知ったからには広める、広めるからにはポジティブに、そして理解をして。
一家庭に一人、一学年に一人、知ってる人が現れたらそこから皆に伝えることはできる。自分で終わりじゃない、自分が始まり。何事もそうだけど、エンターテイメントとかで自分の中で考察して終わりとかじゃなくて、いいものは布教していこうってのと一緒なんだよな。
そういうところうっかり忘れちゃうのがよくないところだな。広める方法は現代には山ほどあるのに。
今日明日突然誰が目にして広まるかわからない今だからこそ、今話題にするってことの大切さはあるなと再確認させられた。
あとさ、たとえば俺が「どうせ誰にも伝わらないし誰も見ないんだから」って嘆いても実際のところわかんねーわけで、比較先が大人気な誰かだったとしてさ、不平等と思ってるのは俺だけで、ネットとか何か「発信できる」の時点で平等なわけじゃん?
だから本当は不平等って当人の考え方にしか依らないのかなーと。
生まれとかの話になるとそう簡単なことじゃないってのはわかってるんだけど、承認欲求とかその辺をメインに据えると……始点とか、思ったより皆平等なもんなのかなーって考えちゃったりするわけだよ。
こういうとこから視点変えれば平等・不平等の平均化しやすくなったりするのかな?
思い出した時にでもちょいと掘ってみるか。