富士山

というものを、実は数えるほどどころかそこまでしっかり見た覚えがないくらいには見ていない。

これについては自覚していないというのも含めてだ。
富士のふもとにいくとどれが富士かわからなくなるので御殿場行った時のもどれだか。
噂によると和歌山の勝浦からでも場合によっては見れるらしいんだが、そうなると大阪でだって見れてほしい。
一応山はあるわけだし、何十年に一度くらいは機会がありそうなもんだが。
三重や東京から見れるって話すら信じられないくらいだしなぁ。

高さとともに見通しが必要なのもわかるけど、もっとこう、気軽ではないが身近に感じられないもんかな。銭湯は除く。
見ない地域からするとスーパームーンよりレアな存在だよなぁ。
存在としては近いものなのに、距離が近いものほど目が届かないってのはこういうことなのかな。
遠くで動かないものの影を捉えるのは難しいが、それに触れられない分近くで交差する人たちの影には目と手と心を届かせていきたいもんだ。

ま、見えないからって諦めるもんでもないしな。
人も自然もどっちについても、見えるタイミングに目を光らせればいつか多少曇っててもわかるようになるだろ。
それこそ富士山の標高みたいに、そんな人間に皆なろう、ってな。
……あれ、今ってこれで合ってんだっけ?